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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

「枕草子(まくらのそうし)」を研鑽-3



「紫の紙の夏扇が広げたまま」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



桜麻の 麻生の下草 露しあれば 明かしてい行け 母は知るとも

桜麻(さくらお)の 麻畑(おう)の下草には 露がありますから お母さんが
知ったとしても 夜が明けるまで泊まって行きなさいな(古今和歌六帖) 



母に知らせず、離れ屋などで密かに男と逢っている女の歌で、上三句によれば
男は身を隠しやすい麻畠を通い路にして女の所へ通っている事を知られる。
麻畠は家続きで、秋以前には、広い庭の一部が畠として利用された。



歌を口ずさみながら、自分の家に帰る時、女の部屋の格子が上がっているので
御簾(みす)の端をちょっと開けて見ると、起きて帰った男のこともおもしろく
朝露も感慨深いのだろうか。端に立っていると、女の枕元の方に
朴の木の骨に紫の紙の貼ってある夏扇が広げたままである。



陸奥紙の懐紙(かいし)の細いのが、はなだ色(明度が高い薄青色)か紅の色か
少し色艶のあるのが、几帳のそばに散らばっている。人の気配がするので
女はかぶっている着物の中から見ると、男がにやにやして
下長押(しもなげし)に寄りかかって座っている。


「親しくしようという気持ちもない」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



遠慮するような相手ではないが、だからといって親しくしようという
気持ちもないので、くやしいが見られてしまったと思う。男が格別に
名残惜しい朝寝ですねと言って、御簾の中に体半分入って来るので
女は、露が置くより先に帰った人が気にくわないからと言う。



おもしろいことだと特別に取り上げて書くほどのことではないけれど
こんなふうに男女があれこれ言い合っている様子は悪くはない。男が
枕元にある扇を、自分の扇で、前屈みになって引き寄せるのを、女は
男が、近くに寄ってくると胸がどきどきして、体を奥の方に引っ込める。



男は扇を取って眺めたりして、よそよそしく思っていらっしゃるなどと
それとなく言い恨んだりしているうちに、明るくなって、人々の声がして
日も射してくるだろう。朝霧の晴れ間が見えるようになって、急いでいた
後朝(男女が互いに共寝した翌朝)の手紙が遅くなったのが気がかりだ。



先に帰った男も、いつの間に書いたのか、萩の露が置いたまま折ってある
枝につけて使いが持って来ているが、差し出すことができない。とても
香り高く焚きしめた香の紙の匂いが、風情がある。あまり明るくなり
体裁が悪く、男は出ていくが自分が起きてきた女の所もこんなふう
だろうかと、想像するのも、男にとっては面白い事だろう。


「朝露に濡れている夜明けの桜」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



木の花は、濃いのも薄いのも、紅梅がいい。桜は、花びらが大きくて
葉の色が濃いのが良く、枝は細くて咲いているのが良い。藤の花は
しなやかに垂れていて花房が長く、色が濃く咲いているのが、素晴らしい。



四月の末か、五月の始め頃は、橘の葉が濃く青く、白い花咲いているのが
雨が降っている早朝などは、世にまたとないほど風情がある様子で趣がある。
花の中から黄金の玉のように見えて、とても鮮やかに実が見えているのは
朝露に濡れている夜明けの桜に劣らない。



ほととぎすが寄って来る花橘だと思うからだろうか、やはり改めて言う
必要がないほど素晴らしい。梨の花は、世間では興ざめなものとして
身近に扱ったりしないで、ちょっとした手紙を結んだりもしない。



可愛らしくない人の顔を見て、例えて言うのも、なるほど葉の色からして
調和がとれてないように見えるのだが、唐土ではこの上ないものとして
漢詩にもするのだから、何かわけがあるだろうと思って、強いて見ると
花びらの端に美しい色艶がほんのちょっとついているようだ。


「白居易の詩から美人が悲しむ風情を思う」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



楊貴妃が玄宗皇帝の使者に会って、泣いた顔に例えて言ったことば。
梨花一枝(りかいっし)、春、雨を帯びたり(春雨に濡れる一枝の梨の花)
白い梨(なし)の花が一枝、春の雨に煙っているようである。



死んだ楊貴妃(ようきひ)が、仙界(せんかい)で玄宗皇帝を思う
思慕の情をうたった白居易の詩から、美人が、ひとり思い悩んで
悲しむ風情を思うと、やはりとてもすばらしいのは、類いがない。



桐(きり)の木の花は、紫色に咲いているのは、やはり風情があるが葉の
広がり方が異様で大げさだが、他の木々と同じに論じてはない。
唐土(もろこし)では名のある鳥(鳳凰)が、この木だけを選んで
止まるというのは、大変特別な感じがする。



まして木材を琴に作って、いろいろな音が出てくるのは素敵などと
世間並みの言葉で言えるはずがない。非常に素晴らしいのだ。
木の格好はよくないけれど、楝(おうち/栴檀)の花は、とても素敵。
他の木と離れて咲き、必ず五月五日の節句に合わせて咲くのもおもしろい。


「愛しい人の寝乱れた髪を思い出して」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



池は、勝間田(かつまた)の池。盤余(いわれ)の池。贄野(にえの)の池は
長谷寺に参詣した時に、水鳥が隙間もなく池にいて騒いでいたのが
とてもおもしろく見え、水なしの池とあり不思議と思い尋ねてみた。



五月など、だいたい雨が例年より多く降るような年は、この池に
水というものがなくなるのです。逆にひどく照りつけるはずの年は
春の始めに沢山の水が涌き出ると言うのに水なしの池とは実に奇妙だ。



まったく水がなくなり乾いていれば水なしと言ってもいいけれど
水が涌き出る時も水なしの池と言うのは奇妙だと言いたかった。
猿沢の池は、采女(うねめ 朝廷女官)が見投げしたのを帝がお聞きになって
行幸(ぎょうこう 帝が外出)などされたというのが、大変素晴らしい。



わぎもこが 寝くたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と 見るぞかなしき

猿沢の池に浮かぶ水草を見ていると、愛しい人の寝乱れた髪を
思い出して悲しいと、柿本人麻呂が詠んだことなどを思うと、
その素晴らしさは言うまでもない。


「自分の所に他よりたくさん葺こう」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



御前の池を、なぜ、おまえの池と名付けたのか知りたくなる。
かみ(上か神か)の池。狭山の池は、古今六帖に詠われている。

恋すてふ 狭山の池の 三稜草 こそ退けば絶えすれ われは根絶ゆる

恋するということは、狭山の池の三稜草(みくり)と同じで、引き抜けば根が
切れて枯れてしまう、私の恋も彼の通いが根絶えてしまうのでしょうか。



節句は、五月の節句に及ぶ月はない。菖蒲や蓬などが薫り合っているのが
ものすごく素敵。宮中の御殿の屋根をはじめとして、話にならない人の
住まいの屋根まで、何とかして自分の所に他よりたくさん葺こうと
一面に軒に葺いてあるのは、やはりとても目新しい。



空が一面に曇っている時に、中宮の御殿には、縫殿寮(ぬいどのりょう)から
薬玉といっていろいろな色の糸を組んで垂らして献上してあるので
それを御帳台が立ててある母屋の柱の左と右につけた。



去年の九月九日の重陽(ちょうよう)の節句の菊を粗末な生絹の布に包んで
献上したのが、同じ柱に結びつけて今まであったのを、薬玉と取り替えて
捨てるようだ。菊と同じように薬玉は菊の節句まであったほうがいいが
薬玉は、垂れた糸を結ぶのに使ったりするから、少しの間も残っていない。


「手紙の中に入れてあるのを見る気持ち」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



中宮様に節句のお食事をさし上げ、若い女房たちは、菖蒲の腰ざしや
物忌みの鬘(かづら)をつけたりして、さまざまな唐衣や汗衫(かざみ)に
風雅な折り枝を、長い菖蒲の根に村濃(むらご)染めの組紐で結びつけてり
珍しいことのように言うべきことでもないが、とてもおもしろい。
村濃(むらご)染めとは、裾に行くにしたがって濃く染めたものを呼ぶ。



毎年春が来るたびに咲くからといって、桜を平凡だと思う人がいるだろうか
外を歩きまわっている童女たちなどが、それぞれの身分に応じて、ずいぶん
お洒落したなと思って、絶えず袂(たもと)を見つめて、人のと比べたりして
素敵と思っている菖蒲の飾りを、引っ張られて泣くのもおもしろい。



紫の紙に楝(栴檀)の花を結び、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて結び
また白い紙を菖蒲の根で引きむすんであるのもおもしろい。
とても長い菖蒲の根を、手紙の中に入れてあるのを見る気持ちなども
華やかな感じがして、返事を書こうと親しく相談して話し合っている。



来た手紙をお互いに見せ合ったりなどするのもとてもおもしろい。
相当な人の娘や、貴い方々にお手紙などをさし上げる男性も
今日は格別に気を配るから、優雅で、夕暮れの頃に、ほととぎすが
一声鳴いて飛んでいくのも、なにもかも素晴らしい。


「神楽の時などにかざして舞う」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



花の木でないのは楓(かえで)。桂。五葉松(ごようまつ)。
たそばの木(かなめもち)は、気品がない気がするが、花が咲く木々が
すっかり散って、あたりが緑になっている中で、時を選ばず、濃い紅葉が
艶々して、思いもしない青葉の中から現れているのは、新鮮だ。



檀(まゆみ)は、今さら言うまでもない。取り立てて言うほどのものではないが
宿り木という名前は、とてもしみじみとした趣がある。榊は、臨時の祭りの
神楽の時などにかざして舞うのが、とても風雅だ。世の中に木は沢山あるが
榊は神の御前の木として生えはじめたらしいのも、格別におもしろい。



楠の木は、木立の多い所でも、特に他の木に混じって植えてあることはない。
鬱蒼と茂ったのを想像すると気味が悪いが、千の枝に分かれていて、恋する人の
千々(ちぢ)に乱れる例として言われているのを、誰が千の枝だと知って
言い始めたのだろうなどと思うとおもしろい。



檜(ひのき)の木は、これも人里近くには生えてないが、建築材料として
三葉四葉の殿造り(三棟、四棟のお屋敷造り)と歌われているのもおもしろい。
五月に雫で五月雨の音を真似るというのも、風情がある。


「手で触れそうにないほど荒々しい」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



鶏冠樹(かえで)の木は、小さいのに芽を出した葉の先が赤くなって
同じ方向に広がっている葉の様子や、花もひどく頼りなさそうに
虫などが、ひからびたのに似ているのが、おもしろい。



あすは檜(ひのき)の木にとは、世間で見たり聞いたりすることはなく
御嶽(金峰山)に参詣して帰って来る人などが、持ってくるようで
その枝ぶりなどが、とても手で触れそうにないほど荒々しいけれど
どういうつもりで、あすは檜の木と名づけたのだろう。



当てにならない約束の言葉ではないか。誰に当てにされているのだろうと
思うと、その相手を聞きたくておもしろい。ねずみもちの木は、他の木と
同等に扱うべきではないが、葉が大変細かくて小さいのが、おもしろい。



楝(おうち)の木(栴檀せんだん)。山橘(たちばな)。山梨の木。
椎(しい)の木は、常緑樹はいろいろあるのに、こればかりが、
葉が変わらない例として詠まれているのはおもしろい。


「取り立てて言うほどのことではない」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



白樫(シラカシ)という木は、まして奥山の木の中でもあまりにも縁遠く
三位や二位の袍(ほう)を染める時ぐらいに、葉だけを見ることができる。
おもしろいこと、素晴らしいことと取り立てて言うほどのことではない。



須佐之男命(すさのおのみこと)が、雪が降り積もっているのに間違えられ
出雲の国にお出かけになったことを思って、人麻呂が詠んだ歌を考えると
大変感慨深い。その時々で、何か一つ、心に残っているものは
草も木も鳥も虫も、おろそかにはとても思えない。



白樫(シラカシ)を実際に見たことがない清少納言が、葉は白いものと
誤って記したのだろう。白樫とは材が白いからそう言う。

ゆずり葉がたいそうふさふさとして艶があり、茎がとても赤くきらきらして
見えているのは、品がないけれどおもしろい。



普通の月には見かけないのに、十二月の末日だけ重宝されて、亡くなった人の
精霊に供える食物に敷くものかと思うと、しみじみとするが、一方、寿命を
伸ばす歯固めの食膳の飾りにも使っているようだ。


「映った姿を友と思って安心する」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



旅人に 宿かすが野の ゆづる葉の 紅葉せむ世や 君を忘れむ

旅人に宿を貸してくれたあなた ゆずり葉が紅葉するようなことが
あったら あなたを忘れるだろうと歌に詠まれているのも頼もしい。



柏木は大変おもしろい。葉を守る神様がいらっしゃるのも尊い。
兵衛督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(じょう)などを柏木と言うのも
おもしろい。格好はよくないけれど、棕櫚(しゅろ)の木は
中国風で、身分の低い家の物とは見えない。



鳥は、異国のものだが、鸚鵡(おうむ)はとてもかわいい。人の言うことを
真似るそうだ。ほととぎす。水鶏(くいな)。鴫(しぎ)。都鳥。鶸(ひわ)。
山鳥は、友を恋しがっている時に、鏡を見せると、映った姿を友と思って
安心するそうだが、その純真さは、とても胸に染みる。



山鳥の雄と雌が谷を隔てて寝ている夜の間は、気の毒だ。鶴は、とても
大げさな格好だけれど、鳴く声が天まで聞こえるのはとても素晴らしい。
頭の赤い雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥(おすどり)。たくみ鳥。鷺(さぎ)は
見た目もひどく見苦しい。目つきなども気味悪く全てにおいて親しめない。


「羽の上の霜を払うところが愛しい」

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たかしまや ゆるぎの森の 鷺すらも ひとりは寝じと 争ふものを

高島のゆるぎの森に住む鷺(さぎ)でさえ一人では寝ないと妻を争うのにと
妻争いをするというのがおもしろい。水鳥は、鴛鴦(おしどり)が愛しい。
お互いに位置を変えて、羽の上の霜を払うところなどが愛しい。



千鳥は、とても素敵。鶯は、漢詩などでも素晴らしい鳥と詠われ
声をはじめとして、姿も形もあれほど上品で美しいのに
宮中で鳴かないのはひどくつまらない。



人が、宮中では鳴かないと言ったのを、そんなことはないと
思っていたけれど、十年ほど宮中に仕えて聞いていたが
本当にまったく鳴き声がしなかった。



それにしても、宮中は竹の近くに紅梅もあって通って来るには
うってつけの場所があるのに、宮中から退出して聞くと
みすぼらしい家の見どころもない梅の木などでは
うるさいほど鳴いている。


「季節外れに年老いた声で鳴くのは」

「Dog photography and Essay」では、
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夜鳴かないので眠たがりのような気がするけれど、今更どうしようもない。
夏や秋の末まで年老いた声で鳴いて、虫食いなどと身分や教養のない者は
名を変えて言うのが、残念で不思議な気がする。それも雀などのように
いつもいる鳥なら、そんなふうには思わないが。



鶯は春鳴くと決まっているから残念な気がするのだろう。
あらたまの 年立ちかへる あしたより 待たるる物は 鶯の声

年が最初に戻る正月の朝から 待ち遠しいのは鶯の声などと
風情ある鳥として、歌にも詩にも詠われるようだ。



やはり春の間だけ鳴いているのなら、どんなに素敵なことだろう。
人間だって、人並みでなく、世間から軽蔑されるようになった人を
改めて非難することがあるだろうか。鳶(とび)や烏(からす)などのことを
気をつけて見たり聞いたなどする人は、世間には決していない。



そういうわけだから、鶯は漢詩文にも詠まれる鳥になっているのだからと
思うと、季節外れに年老いた声で鳴くのは不満な気がする。賀茂祭の帰りの
行列を見るというので、雲林院や知足院などの前に牛車を立てていると
ほととぎすも我慢できずに鳴くと、鶯(うぐいす)が鳴き声をそっくり真似て
小高い木の中でほととぎすと一緒に鳴いているのは、さすがにおもしろい。


「削り氷に甘葛(あまずら)をかけたもの」

「Dog photography and Essay」では、
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ほととぎすは、今さら言うこともない。いつの間にか得意げに
鳴いているのが聞こえているのに、卯の花(ウツギの花の別称)や花橘などに
止まってなかば隠れているのも、憎らしいほど素晴らしい風情である。
花橘(はなたちばな 万葉集や古今集などに多く詠まれた花 夏半ばの一か月)



五月雨の頃の短い夜に目を覚まして、なんとかして人より先に聞きたいと
待っていると、夜更けに鳴き出した声が、上品で美しく魅力があるのは
たまらなく心がひかれて落ち着かず、どうしようもない。



(昨日午後3時半に「もも」と見上げた秋の雲)

六月になると、まったく鳴かなくなるのは、なにを言っても愚かなほどいい。
夜鳴くものは、なにもかも素晴らしい。赤ん坊だけはそうではないけれど。



優雅なもの。薄紫色の上に白襲(しらがさね 白地の下着類を重ねて着ること)の
汗衫(かざみ 平安時代の貴族階級の女児用の薄手の上着)。軽鴨(かるがも)の卵。
金属製の碗にいれた削り氷に甘葛(あまずら)をかけたもの。水晶の数珠。藤の花。
梅の花に雪が降りかかり、とても可愛い幼児が苺(いちご)などを食べている所。


「秋風が吹く頃になったら迎えに来る」

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虫は、鈴虫。蜩(ひぐらし)。蝶(ちょう)。松虫。こおろぎ。きりぎりす。
ワレカラ(海藻についている虫)。蜉蝣(かげろう)。蛍。
箕虫(みのむし)は、とてもあわれ深い。蓑虫は鬼が生んだ子。



蓑虫は親に似て、この子も恐ろしい心を持っているだろうと、親が粗末な
着物を着せて、もうすぐ秋風が吹く頃になったら迎えに来るから
待っていなさいと言っておいて、逃げて行ったのも知らないでいる。



風の音を聞いてわかり、八月頃になると、ちちよちちよ(蓑虫の鳴く声)と
頼りなさそうに鳴き、ひどくあわれである。額(ぬか)づき虫もまたあわれだ。
あんな小さな虫の心で道心(悟りを得ようとする心)をおこして、額をつけて
拝みまわって、思いがけず暗い所で音を立て歩き回っているのがおもしろい。



蝿(はえ)こそは憎いものに書き入れたく、これほど可愛げがないものはない。
目の敵にする大きさではないが、秋などはどんな物にもとまり顔などに
濡れた足でとまったりする。人名に蝿がついてるのなんて、ひどくいやだ。


「ほかの女の所へ通っていると腹を立てる」

「Dog photography and Essay」では、
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夏虫は、とてもおもしろく可愛らしい。灯りを近くに引き寄せて物語を
見ていると、綴じ本の上などに飛び回るのは、とてもおもしろい。
蟻(あり)はひどく嫌だが、すごく身軽で、水の上などをひたすら
あちこち歩き回るのはおもしろい。



七月頃に、風がひどく吹いて、雨などが騒がしく降る日は、だいたい
とても涼しいので、扇もすっかり忘れている時に、汗の匂いが
少し残っている綿入れの薄手の着物を、すっぽりとかぶって
昼寝しているのはおもしろい。



似合わないものは、身分の低い者の家に雪が降り積もっている光景や
また、月がさし込んでいるのも不満で、月の明るい時に屋形のない粗末な
牛車に出会ったのも似合わず、そんな車にあめ牛(飴色の牛で上等な
牛とされた)をつないでいるものも似合わない。



年取った女が、お腹を大きく(妊娠)して歩いている姿(当時の風潮だろう)
そんな女が若い男を持っているのさえみっともないのに、その若い男が
ほかの女の所へ通っていると腹を立てているとは似合わず
年老いた男が寝ぼけているのも似合わないと思う。


「梅を食べて酸っぱがっているのも」

「Dog photography and Essay」では、
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年老いて鬚(ひげ)だらけの男が、椎(しい)の実を前歯で噛んでたべている
(一説には拾って食べる)のも似合わない。歯のない女が梅を食べて
酸っぱがっているのも似合わず、身分の低い女が緋(ひ)の袴を
はいていたり、この頃(最近)はそんなのばかりである。



靫負佐(ゆげいのすけ/衛門の佐)の夜の巡察の姿。その狩衣姿もひどく賤しそう。
人に恐れられる赤色の袍は、大げさである。女の部屋の辺りをうろうろするのを
見たら、軽蔑したくなる。それなのに、怪しい者はいないかと、尋問する。



部屋に入り込んで、香が焚いてある部屋の几帳に掛けてある袴なども全く
どうしようもなく美貌の君達が、弾正台の次官でいるのは大変見苦しい。
宮の中将(源頼定)などの在職中は、本当に嫌だった。弾正台は役人の
不正や内外の非行を正し、風俗を取り締まる官庁のこと。



細長い廂(ひさし)の間に女房たちが大勢座っていて、通る人にうるさく
話しかけたりする時に、さっぱりとした従者や小舎人童(雑用係り少年)が
立派な包みや袋などに着物を包んで、中の指貫(さしぬき)のくくり紐が
見えてるのや、弓、矢、楯などを持って歩いて来る。


「身分のある人にもさせたい仕事」

「Dog photography and Essay」では、
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誰のなのと尋ねると、膝まずいて、何々様のですと言って行くのはよい。
気取って恥ずかしがって知りませんと言ったり、なにも返事を
しないまま行ってしまう者は、ひどく憎らしい。



主殿司(とのもりづかさ/後宮の清掃、灯火、薪炭などを司る職)の女官こそ
やはり素晴らしいものといえる。下級の女官の身分では、これほど
羨ましいものはない。身分のある人にもさせたい仕事のようだ。



若くて美しい人が、服装などきれいにしていたら、なおさら良いだろう。
少し年を取って、宮中の先例を知って、物怖じしないのも、その場に
ふさわしく感じがよい。主殿司の女官で、愛嬌のある顔の子を一人持って
装束は季節に合わせて、裳、唐衣などを今風に仕立てて、歩かせたいと思う。



召使いの男は、また随身(ずいじん/近衛の舎人)こそ素晴らしいではないか。
とても美しく着飾って素晴らしい貴公子たちでも、護衛の随身がいないのでは
ひどく興ざめである。弁官などは、とても立派な官だと思っているが
下襲(したがさね)の裾が短くて、随身がいないのが、ひどくみっともない。


「女は自分を愛する者の為に化粧を」

「Dog photography and Essay」では、
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中宮職の御曹司(みぞうし)の西面の立蔀(たてじとみ/目隠しの板壁)の所で
頭弁(とうのべん/藤原行成)が、ある女房と長話をして立っているので
出て行って、そこにいるのは誰と言うと、弁でございますとおっしゃる。



何をそんなに話していらっしゃるの。大弁(座右弁官局の長官)が見えたら
あなたを捨ててしまうでしょうにと言うと、たいそう笑って、
誰がこんなことまで話して知らせたのだろう。捨てて行かないでくれと
話しているところですとおっしゃる。



頭弁は、優れていると見られるよう聞かれるように、 風流な方面を
表に出すようなことはなく、平凡な人のようと、ほかの人はみんな
そう思っているが、私はやはり深みがあって心ひかれるような性格を
見て知っているので、普通の方ではありませんと中宮様にも申し上げた。



また、中宮様もそのようにご承知でいらっしゃったが、頭弁はいつも
女は自分を愛する者の為に化粧をし、男は自分を分かってくれる人の為に
死ぬと言っていると、わたしと話し合ったりしながら、わたしが
頭弁を理解していることをよく知っていらっしゃる。


「歌を謡って楽しんだりしない」

「Dog photography and Essay」では、
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頭弁(藤原行成)と私は約束をしているのに、女房たちは、見苦しい事や
思った通りのことを平気で言うので、あの君はいやにつき合いにくい。
ほかの人のように歌を謡って楽しんだりしないし、面白くないと非難する。



それでも頭弁は、一向にあれこれの女房に話しかけたりしないで私は
目が縦について、眉が額の方に生えあがり、鼻が横向きだとしても
ただ口元に愛嬌があって、顎の下や首がきれいで、声が
憎らしそうでない人だけを好きになれそうだ。



でも、そうは言っても、やはり顔がひどく憎らしい人は嫌だねと言うので
尚更顎が細く、愛嬌のない人は、訳もなく目の敵にして中宮様にまで
悪く申し上げる。頭弁は、中宮様に何かを申し上げる時でも
最初に取り次ぎを頼んだ私を探し呼び出すことになる。



いつも来て話をし、里にいる時には、手紙を書いたり、ご自分がいらして
参内が遅くなるなら、このように頭弁が申しておりますと中宮様に使いを
出して下さいとおっしゃる。それは私でなくても、誰かがいるでしょうと
言って人に譲ろうとすると、どうしても承知しないと言ったふうである。


「奥の引き戸をお開けになって」

「Dog photography and Essay」では、
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何事もその場に応じて、一つに決めないで対処するのを、良い事ですと
助言するけれど、私の持って生まれた性格だからとだけおっしゃって
変えられないのは性格という事で、それでは変えるのに遠慮は無用
とは、何を言うのかと不思議がり笑いながら、仲よしと人に言われる。



このように話しているなら、恥ずかしい事はなく、顔を見せてもよいのでは
とおっしゃる。ひどく憎らしい顔ですから、そういう人は好きになれないと
おっしゃっていたから、見せられないのですと言う。



なるほど、貴女を嫌いになるといけないな。それでは、顔は見せないでと
おっしゃって、自然と私の顔が見られる時でも、ご自分の顔をふさいだりして
ご覧にならないので、本当に、嘘はおっしゃらないと思っていたところ
三月の末頃は、冬の直衣が暑苦しいのだろうか、袍(ほう)だけの人が多い。



殿上の宿直姿の人もいる。翌朝日が出てくるまで、式部のおもとと小廂の間で
寝ていると、奥の引き戸をお開けになって、帝と中宮様が出て来られたので
起きるに起きられなくてうろたえているのを、たいそうお笑いになり
唐衣をそのまま汗衫の上に着て、夜具が埋もれる所にいらっしゃって
陣(警備の役人の詰所)から出入りする者たちをご覧になる。


「清少納言のかつての夫・則光の弟」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



殿上人(てんじょうびと)の中に何も知らないで寄って来ては
話しかけたりする者がいるのを、気づかれないようにと
おっしゃってお笑いになり、出て行かれる。二人とも、さあ一緒にと
おっしゃるが、すぐに顔などを整えましてからと言って参上しない。



帝と中宮様が奥にお入りになった後も、やはり素晴らしい様子などを
式部のおもとと話していると、南の引き戸の そばの、几帳の手(両端)が
突き出ているのに引っ掛かって、簾が少し開いている所から、黒いものが
見えたので、蔵人の橘則隆がいるのだろうと思い確かめもしないでいた。



何か他の事を話していると、とても笑っている顔が出てきたので
それでもまだ則隆なのだろうと思っていたが、実際に見てみると
則隆ではない違う顔だったと思って、見もしないで、やはり別のことを
話していると、とてもにこにこしている顔が出てきた。
橘則隆は六位蔵人で、清少納言のかつての夫・則光の弟。



やはり則隆だろうと見たら、違う顔だったので、驚いたと笑って騒いで
几帳を引き直して隠れると、頭弁(藤原行成)でいらっしゃった。
顔をお見せしないようにしていたのにと、とても残念だ。一緒にいた
式部のおもとは、こっちを向いていたので、顔も見られなかった。


「あなたの顔も見られるかも知れないと思って来た」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



頭弁(藤原行成)は出てきて、すっかり見てしまったよとおっしゃるので
則隆と思っていたので、油断してたのです。どうして見ないと
おっしゃっていたのに、そんなにじろじろとと言うと、女は寝起きの顔を
見るのが、ひどく難しいと言うから、ある局の部屋に行って覗いて見た。



あなたの顔も見られるかも知れないと思って来たのです。まだ帝が
いらっしゃった時からいたのに、気づかなかったのだねとおっしゃって
それから後は簾をくぐって入って来たりなさるようだ。
藤原行成は清少納言と気が合うが、作者のほうが十歳年上である。

 

馬は、とても黒くて、ほんの少し白い所がある馬が良いと思う。
栗毛(柴)のまだら模様がついているのが良い。葦毛(あしげ 灰色)の馬。
薄紅梅色の毛で、たてがみや尾が白い馬で、木綿髪(ゆうかみ)」とも言える。
馬は、やはり黒くて、四本の脚が白い馬も、とても良いと思う。



牛は、額がとても小さくてその部分の色が白みを帯びていて、腹の下や足や
尾の先などが白い牛が良い。猫は、背中だけ黒くて、腹は白いのが良い。


「わたしたち女房は耳をすまして」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



雑色・随身は少し痩せていて、ほっそりとしている人が良い。
身分の高貴な男も、やはり若いうちは、そういった感じの細身の方が良い。
とても太っている男は、いつも眠たそうに見えてしまい良くない。
雑色(ぞうしき/文書や道具類を管理する役)、随身(ずいじん/護衛官)



小舎人童は、小さくて髪がとても整った子供が良く、髪がさらっとして
少し艶のある子供は、声が綺麗で、かしこまった態度で話している姿は
利発でとても賢そうに見えるものだ。



牛飼いは、大きな体格をしていて、髪の毛がバサバサに荒れており
赤ら顔で仕事を的確にこなしているようなのが良い。



殿上の名対面(なだいめん/午後十時頃に行われる宿直の点呼)はおもしろい。
帝の御前に点呼の番の蔵人がつめている時は、殿上の間に戻らないで
そのまま点呼をとるのもおもしろい。殿上人たちの足音がしてどやどやと
出て来るのを、弘徽殿(こきでん)の上の御局(みつぼね)の東面の所で
わたしたち女房は耳をすまして聞いている。


「名乗り方がいいとか悪いとか」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



自分の恋人の名前が出た時には、思わずどきどきすることだろう。
何の連絡もしてこない人などの名を、こういう時に聞いたら
どう思うだろう。名乗り方がいいとか悪いとか
聞きにくいなどと批評するのもおもしろい。



殿上の名対面(なだいめん)は終わったようだと聞いているうちに
滝口の武士が弓弦(ゆずる)を鳴らし、沓(くつ)の音がし、ざわめいて
清涼殿の前庭に出てくると、蔵人が足音高く板敷をごとごとと踏み鳴らし
東北の隅の高覧の所に高膝まずきという座り方で控えている。



殿上の名対面(なだいめん)とは、宿直の殿上人(昇殿を許された人)滝口が
点呼のために名前を問われて名乗ることで、亥の二刻(午後9時半頃)に
清涼殿の殿上の間(蔵人・公卿の控室)で行われた。



御前の方に顔を向けて、滝口の武士には背を向けて、誰々は控えているかと
尋ねるのがおもしろい。細い声だが高い声で名乗り、そして、何人かが
伺候(しこう- 謹んで貴人のそば近く仕えること)をせず、規定の三人に
達しないと、名対面を行わないことを滝口が蔵人を通して奏上する。


「名前の一部を思い出せないように」

「Dog photography and Essay」では、
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名対面を行わないことを滝口が蔵人(くろうど/天皇の秘書)を通して
奏上するのだが、蔵人がどうしてだと尋ね、滝口が差し障りの理由を
申し上げ、それを聞いて蔵人は帰るのだが、蔵人の方弘(まさひろ)は
理由を聞かないで帰ったと、君達(きんだち)が注意した。



君達が注意したところ、方弘は大変に腹を立てて滝口を叱り責めたので
また滝口の武士にまで笑われた。後涼殿(こうろうでん)の御厨子所
(みずしどころ/宮中で食事をととのえる所)の御膳棚(おものだな/膳が
置いてある棚)に方弘が沓を置いて、大騒ぎになった。



その事をとてもおもしろがって、誰の沓(くつ)でしょう。知らないわと
主殿司(とのもづかさ/清掃・灯火・薪炭をする職)の女官やほかの人たちが
かばったのに、それは方弘の汚ないものと自分から言って一層騒がれた。
若くてよい身分の男が、身分の低い女の名前を呼び慣れて言うのは憎らしい。



名前を知っていても、何と言うのだったと名前の一部を思い出せないように
言うのは趣がある。宮仕えする所の部屋に立ち寄って夜などは都合が
悪いだろうが、宮中なら主殿司(とのもづかさ)、宮中でない普通の家では
侍所などにいる者を連れて行って、女を呼ばせるのがいい。自分から呼んだら
声でわかってしまうから。 下女や童などは、じぶんで呼んでもかまわない。


「香りが漂ってくるのは風情がある」

「Dog photography and Essay」では、
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若い人や乳児などは、太っているのがいい。受領などの年輩の人も
ふっくらしているのがいい。幼い子は、奇妙な弓や鞭のような物を振り
回して遊んでいるのが、とても可愛らしい。そんな幼い子に出会ったら
車など止めて、抱いて牛車へ入れて見てみたい気がする。



牛車で行くと、薫物(たきもの)の香りがたいそう漂ってくるのは風情がある。
立派な邸の中門が開けてあって、檳榔毛(びろうげ)の車の白くきれいなのが
蘇芳色(すおういろ)の下簾の鮮やかな色合いで、榻(しじ/轅を置く台)に
ちょっと立ててあるのは素晴らしい。



五位、六位の者などが、下襲の裾を石帯(せきたい) にはさんで、真っ白な
笏(しゃく) に扇をちょっと置いたりしてすれ違い、また、正装をして
壺胡籙(つぼやなぐい/矢入れ)を背負った随身が出たり入ったりしているのは
とてもふさわしい。厨女(くりやめ/台所女)のこざっぱりしたのが、邸から
出て来て、殿のお供の方はいらっしゃいますかと言うのもおもしろい。



滝は音無(おとなし)の滝。布留(ふる)の滝は、法王がご覧に行かれたというのが
素晴らしい。那智(なち)の滝は、霊場熊野にあると聞くのでしみじみと感慨深い。
轟(とどろき)の滝は、どんなにうるさくて恐ろしいことだろう。布留の滝は
光孝天皇が行幸したことはあるが、法王の御幸の史実は分からない。


「川の淵がいつ速い流れになるか分からない」

「Dog photography and Essay」では、
「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。



河について、歌によれば、飛鳥川の淵がいつ速い流れの瀬になるか
分からないというが、一体どのような河なのかと思うと
しみじみとした趣がある。大井河。音無川。水無瀬川。



耳敏川、これもまた何事をほじくり聞き出したのだろうかと思われて面白い。

世の中は なにか常なる あすか河 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる

世の中は変わらないことがあるだろうか 飛鳥川は昨日淵だった所が 
今日は浅瀬になっている(古今集雑下・読人しらず)



大井川。音無川(おとなし)。七瀬川。耳敏川(みみと)と、おもしろい。
玉星川(たまほし)。細谷川(ほそたに)。いつぬき川、沢田川などは
催馬楽(さいばら)などを思い出させるだろう。名取川は、どんな
評判を取ったのだろうと聞いてみたい。吉野川。天の川原(かわら)。



狩り暮し 七夕つめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり

一日中狩りをして日が暮れたので 織姫に宿を借りよう いつのまにか
天の河原に私は来ていた。古今集羇旅(きりょ)・業平(なりひら)
と、在原業平(ありわら の なりひら)が詠んだというのも風情がある。


「やはり夜明け前の別れ方に風情」

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夜明け前に帰っていく人は、装束などをきちんと整えたり、烏帽子の
紐を元結に結ばなくてもいいのではないかと思われる。ひどく
だらしなく、見苦しく、直衣や狩衣などをゆがめて着ていても
誰がそれを見て笑ったりけなしたりするだろうか。



男は、やはり夜明け前の別れ方に、風情があってほしいものだ。
ひどく、ぐずぐずして起きたくなさそうなのを、無理に急き立てて、
夜が明けたよ。ああ、みっともないなどと言われて、ため息をつく
様子も、本当に別れたくなく、帰る気がしないのだろうと思われる。



指貫(さしぬき)なども、座ったままで履こうともしないで、まず女に
近寄って、昨夜話したことの残りを、女の耳に囁いて、何をするという
わけでもないが、帯などを結ぶようである。



格子を押し上げて、妻戸(つまど)のある所は、そのまま一緒に女を連れて行き
昼の間、逢えないのが心配でならないことを言いながらそっと出てゆくのは
女も自然と見送ることになり名残惜しいことだろう。


「捜しても暗いので見えない」

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一方、男に思い出す所があって、たいそう思いっきり元気よく起きて
ばたばた騒ぎ立てて、指貫の腰ひもをごそごそと結び、直衣(のうし)や
袍(ほう)や狩衣(かりぎぬ)の場合も、袖をまくって、腕をぐっとさし入れ
帯を非常にしっかりと結び終えて、ひざまずいて、烏帽子の緒を強く結ぶ。



烏帽子を頭にかぶる音がして、扇や畳紙(たとうがみ)などを昨夜枕元に
置いたけれど、自然に散らばってしまい、捜しても暗いので見えない。
どこだ、どこだと、そこら中を叩きまわってやっと捜し出して
扇をばたばたと使い、懐紙を懐に入れて、失礼するぐらいは言うようだ。



橋は、あさむつの橋。長柄(ながら)の橋。あまひこの橋。浜名の橋。
ひとつ橋。うたたねの橋。佐野の船橋。堀江の橋。かささぎの橋。
山菅(やますげ)の橋。おつの浮橋。板一枚渡してある棚橋。
心が狭い感じだが、名前を聞くとおもしろい。



里は、逢坂の里。ながめの里。寝覚(いざめ)の里。人妻の里。たのめの里。
夕日の里。つまとりの里。妻を取られたのだろうか、それとも人の妻を取って
自分のものにしてるのだろうかと思うと、面白い。伏見の里。朝顔の里。


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